人間の意識は終わりが無く、永遠に続くって本当?
引用元: ・人間の意識は永遠に続いて終わりがない←これマジ?
よって人間は意識の終わりを認識できない
よって人間の意識は永遠に続く
マジで分からないの?
頭悪すぎない?
過去も架空の物
記憶の中にある過去をある物かのように錯覚している
当然未来も存在しない
意識は連続していない
いや「過去」って記憶のことだから
時間って客観的に存在しているものでもなく意識からなるものだぞ
普通そう思うじゃん?
ここは簡単に二元論で考えると
肉体が無いということは意識する「自我」がない
自我が無いということは認識ができない
ということは「自分の意識は消えた」という認識すらない
よって意識は常に「意識がある」ことしか認識できない
よって意識は永遠に続く
意識する自我が消えてなくてはいけなくて
そうなると「終わりを認識する」ことは不可能になる
なぜなら「認識する」とは自我があってのことだから
>>1
2行目と3行目がどうしてつながるのかわからない
その意識自体は消えちゃって、他の意識の思い出に残ってるだけだろ
>>10
>その意識自体は消えちゃって、他の意識の思い出に残ってるだけだろ
が理解できない
もう少し分かりやすく説明してほしい
人が死んだことを認識するのはまだ生きてる他人がすることで、
本人にはもう関係ないだろ
主観的な意識のことを言っています
睡眠って覚醒があるから覚醒時に「眠っていた」と認識しているわけだよね
つまり覚醒という意識状態があるから後から睡眠を認識できる
死の場合は覚醒という意識状態がないから死を認識できない
同様に意識の終わりも認識できない
気絶したことあるけどそんな感じだったぞ
君は「自分が気絶していた」ということを覚醒してから知ったんだよね?
気絶中に気絶しているとは認識できないはず
ということは死という状態の後に覚醒はできないから「死んだ」あるいは「意識が終わった」
ということを認識することは不可能
認識してなくても確実に意識は無かった
その後目覚めなければ「終わった」と言えるだろう
それは論理的に矛盾してるよね
「意識が段々と遠のいていく感覚」なら意識は生きているわけで厳密な気絶じゃない
認識しえない状態をなんで語れるわけ?
それは後から覚醒して知ったからか、認識し得ない状態までギリギリ近づいている気絶していない意識の産物でしょ?
だからある種の類推にすぎない
段々と遠のいたんじゃなくふらっとした次の瞬間にはもう意識が無くて次の記憶は目覚めた時だからなあ
認識するかどうかと終わったかどうかは別物だろ
>もう意識が無くて
これが矛盾しているというわけ
「意識が無い」というのはふらっとした瞬間からなる類推か
覚醒した後に状況的に知ったにすぎないじゃん
意識を失ってる状態ってのは全くの無だった
つまりそのまま目覚めなければ意識の終了と言える
自覚しなくても無いものは無い
終わったと言えるだろ
空の箱の中を見ることが出来なくても空な事に変わりはないのと同じ
だからそれは「類推」にすぎないんだって
認識論ってご存知?
自分が直接認識していないものの存在は必ずしも在るとは言い切れない
だから「終わったと言え」ない
哲学的な論調を支持するかどうかは水掛け論になるからなあ…
例えばPCを物理スイッチで強制終了したとして、PCは終了した事を認識していないが、客観的に見れば終了していることは明らか
人間も同じだろ
それはそうだけど自分の認識だけは例外でしょう、自分自身にとって
自分の主観的死を他人の死と同一に扱うことはあまりに浅はかでは?
死が気絶と同じ感じなら、あれは終わっていると言って差し支え無いと思うわ、個人的にはね
>>50
だから覚醒した時点で意識は連続してるじゃん
例えば気絶した人が2時間後に覚醒した
①気絶前(0時)
②気絶中
③覚醒(2時)
こうなると客観的時間の上では2時間の意識のブランクがあることになるが
気絶者の意識からしたら②気絶中のブランクは存在しない
①と③は連続している
これは一見荒唐無稽な話に思えるが
そもそも客観的な時間というものは存在しない
存在すると見做した方が生きるのに効率がいいってだけ
時間とは記憶からなるものであり極めて主観的、相対的なもの
絶対的で客観的な時間は存在しない
そういう意味で「気絶していた」という情報を受け取って架空の客観的時間に縋って
「終わりを認識した」というのはあまりに浅はか
俺が認識した終った意識は覚醒してないよ
何よ、多重人格?
「意識の終わりを意識する意識」はありえない
あるとしたら幽霊にでもなって自分の死体を見下ろすような意識のことかな
だから「自分が死ぬ」「死んだら意識が無くなる」というのはあくまで類推にすぎない
予想というわけ
人間は他人の死に関しては認識することができるのに自分の死については認識できない
仮に霊現象があっても消えないわけはないと思うわけや。宗教なら魂が先なんやろうが、物理ならやはりまず生きた人間か有ってのもんやと思う
勿論単なる妄想の仮説だが
なにひとつ認識できない状態をさして「意識が続いてる」
というのは無理があるんじゃね
何かを認識してる状態が「意識がある」だと思うが
主観的な認識の世界では何も無理はないよ
「なにひとつ認識できない状態」って肉体が喪失した場合でしょ?
そうなると客観的には肉体が無いんだから意識も終わってると考えるのが自然ですわな
けれどその喪失した肉体の持ち主の主観的認識を想像してみると俺の言っていることは成り立つわけ
そしてその主観的認識は俺自身もみんなも各々持っているはずだから有効性あるよね
最期の一瞬に意識レベル0.00000000001を感じてそのまま終わりよ
そうそう「無」に近い状態を意識することはできても「無」自体を意識することは不可能
で、近い状態ってのは類推だからね
平常時に「俺はいつか死ぬだろう」ってのと変わらない
お前はもう死んでいる
「終わるんだけど終わることを認識できない」そう
けれど厳密に言うなら
終わりを認識できないということは終わらないということだ!!
それは認識できないことを終わらないと定義しただけ
それならもっと単純に死ぬことは生きることだと定義すればよい
お前がまだ経験してないだけ
直接認識したら矛盾だからありえない
意識が終わる直前の類推か覚醒時に後から知ったにすぎない
ありえないっていっても、事実あったんだが
お前に無いからと言って、それがすべてではない
お前に無いとかいう話じゃなく認識の論理の話
少なくとも君は言葉の上で論理的に矛盾してる
仮に君が事実あったといっても言語化できていないから無意味
俺は神を見た!と言うのと変わらない
うん、無意味だろうが何だろうが俺は経験済み
俺は俺の意識の終わりは経験してるんだが
さもありなん
一つの真理ではあるな
「人間の意識は永遠に続く」ではなく
人間の意識は永遠に続くかどうかは未解決
終わる←認識器官が機能しなくなる(例:死)
よって「終わりを認識する」は矛盾
でも俺は実際に意識が終わって覚醒してないのを認識してる訳だが
お前が経験してないだけ
「実際に」ってつければ何でも真実になると思ってるならキチガイだし
言葉の効用が分かってないだろうから書き込まないでください
それだと「実際に神を見た、お前が見ていないだけ」が成り立つ
そうそう
眠る直前に「ああもう睡眠に入るだろうな」っていう類推か
朝眼が覚めて「ああ眠っていたんだな」って知るのと同じ
だからこそ夢を見るわけだし実際は睡眠時でも音も聴いているし感覚は働いている
意識が明瞭じゃないってだけで
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