『超能力の修得方法』が公開wwwまるで念能力www
引用元: 超能力の修得方法
ある方法により超能力を修得できる方法を開発し
いよいよ実際にそれを修得する段階にまで至ることができた
超能力との呼称はじつのところ適切ではないのだが
便宜をはかるうえでここはそう呼称しておくこととする
さてこの話に興味を持つ者はいないか?
いたら質問を受け付ける
食事で気をつけることはありますか?
視力回復などの身体状況の改善に役立てることはできますか?
あなたの修得した能力はなんですか?
とにかく必要なのはその訓練方法を充分に理解して実践すること
筋力を鍛えるのには食事などよりもトレーニングが重要となるのと同じ
今のところ専ら修得しようとしているのはいわゆる気功とした能力
まだ静電気状の力を手の平から生じさせることができるくらいの段階だが
もう一つ質問を。
集合無意識、というモノは利用しますか?
あと、まず、
ここから始めよう という
基礎練習を教えてくださいませ。
少なくともこっちはそうしていない
十数年かけて覚えてきた訓練法だから容易く明かすわけにはいかないが
それでもヒントを出すと肉体のある部分が大きく関係していることとなる
そこをどうするか、それが問題
肉体のある部分とは、生殖器付近でしょうか?
そう思うのだったらそこをどうにかしてみるといい
正解なら超能力が身につくだろう
訓練法、教えてくださいませ?
実際それで確かな気功能力を修得できたという事例があるのかね?
難解な言葉を並べる必要はない
まずは基本となる訓練法を覚えることが必要
ただ残念だろうが、そう容易くそれは教えられない
何か他の質問があればしてくれ
しかし>>1さんがそれをさらけ出すことが有益なのか、否か?
そう、十数年かけて得た成果をここで容易く
しかも無償で披露するのにはどうしても抵抗感があるわけだ
はっきり言うと自分は特別な人格者ではない
というより俗物としてもいい
先天的に確かな形での超能力なり霊能力なりを備えているわけでは決してない
だがそんな自分にも超能力、霊能力を備えることが
この訓練法によって可能であることを
今まさしく実証しているところなのだ
んじゃね、どうやって情報を集めたか、について。
まさしく天啓、ということになるのかもしれない
自然に理解できるようになっていった
前例、何かしらの資料から得たということはない、とのことは確か
さてさて、気功とは違うというのであれば、
どんな種類のなのかは教えてくれるのだろうか?
その質問の意味がいまいち不明だ
ともあれ気功と呼ばれるものは「念」の一種であると認識している
当然誰に習ったわけではなく、自然に身についたとしていいはず
まず生殖器は全然とは言わずとも直接的には関係ない
ともあれある箇所だ
そこを意識し、そしていかにするか、それが答えとなる
全然分かんないww難しいです。
こっちとしても十数年の試行錯誤でようやく辿り着いた答えだからな
そう容易く理解されても困るところがある
しかも「知られている歴史」においては前例のないことであるし
ともあれまずどうにか糸口を探ってみることだな
知識0の私としては砂漠の中から10円玉見つけるくらい難しい。
糸口……………
しっかりあるのだとわかっただけでも前進となろう
様々な試行錯誤の中で、ふとしたとき「それ」の存在そしてその意義を知った。
?
人のみならず、それに近い肉体構造を持つ生物にも超能力は修得できるものと推測している
たとえば犬や馬などの哺乳類生物がそれに該当する
「先天的に持っているそれを忘れている」
これは適切な表現となると思うところ
であるからして思い出さねばならない
その前にまず忘れていることに気がつかねばならない
ただひとつ事前にはっきり言っておくことがある
それは超能力とは一朝一夕で修得できるものでは絶対にないということ
まずそのコツをつかみ、それからも充分な訓練を積み重ねていかなければならない
どんなに物覚えが良く、また才能があろうとも
短くて一年は必要になるものとみていい
それを理解したうえでなおこの話を進めたいのなら
それは本気となるだろうな
私はあなたに重要なことを聞くのを忘れていました。
テレパシー、予知、念?、瞬間移動etc世間一般ではこれらのものが=超能力と認知されていますが あなたの定義する超能力とはどのようなものなのでしょうか?
述べたとおり、超能力とは便宜をはかる上での呼称であって
普段はそう呼称していないわけだ
そのうえで話を進めるとすると超能力とは二種に大別することができる
それが念、陽の力と感、陰の力の二種だ
気功、サイコキネシス、瞬間移動などと呼ばれる超能力は念、陽の力に組し
透視能力、テレパシー、予知などと呼ばれる超能力は感、陰の力に組することとなる
ここのあたりは何となく理解できそうだと思われるが、どうかな?
大丈夫です。続きをどうぞ
せっかくだからひとつこんな話をしてみるかね
1 バス酔いしたある男に対して酔い止め薬を服用させる
2 するとしばらくしてその男のバス酔いは治まる
3 しかしバスを降りた後に服用した薬は実は風邪薬だったことが判明する
これはいわゆるプラシーボ効果という現象であるが
いうなればこれも超能力の一種となる
この場合は念、陽の力による効果が働いたとしていい
酔いが治まるんだ、との念の働きがそこに及んだわけだ
>>29で述べている超能力とは>>33で述べているようなものではない
>>33で述べているものは極めて初歩的な
それこそ一朝一夕で修得可能となりそうなものであるからして
>>29で述べている超能力とは例にすると
手の平より明確な静電気状のエネルギーを放出できるようになるとした水準のものとなる
あなたの考えを私なりに察してみると「それ」はなにかもっと深層下の無意識によって支配されているらしい。
でもあまりに抽象的過ぎます。それではただ単に心理学の範疇での考え方に+αでPK活動云々
批評的な文を書くのはあまり好きではありませんが、直接面と向かって話さない限り相手の意思は読めません。
「論より証拠」
もう少し具体的なものをお願いします。私はあなたに興味がある。
それ故にまだ自分の身に起こっていないこと、映画などでそういう内容のものがあっても非現実的過ぎて受け止められない。
身近に感じすぎるが故に盲目になってしまう。
それと丘版=男だらけって言う偏見はあまり良くないと思います。
その辺もあなた自らが色眼鏡をかけて思い込んでいる。
男性の主観なら男性中心の視点、女性の主観なら女性中心の視点。
>>36なら手を鍛えることによって超能力が使えるようになるってこと?
残念だがそう単純なことではない
これが重要なこととなるが
念の力が「宿る」のが手の平であっても
念の力をそこに「宿らせる」のは別の箇所による働きとなるのだ
現代では一般的に脳とは重要な器官であると認識されているから
そうした結論に至りやすいものだな
これが古代エジプトでは脳は鼻水をつくる器官として軽視されたというから
それでは到底「真理」にたどり着くことは叶わなかったろう
それはどうだろう・・
勉強とかより、観察力の訓練の方が一役かいそう
そういうことではないんだな
勉強をすれば伸びるのは超能力ではなくあくまでも知的能力だ
観察力の訓練で伸びるのは超能力ではなくあくまでも観察力だ
ここに十数年の試行錯誤で得た解答があるわけだが
残念だがそう簡単には教えられない
そもそもその超能力の定義とは?
プラシーボ効果を自在に操ることを超能力とすれば勿論使えるだろう
手の平から静電気状の念の力を生じさせるようなことも
訓練次第で修得することが可能となる
貴方の目的は何ですか?
1 プラシーボ効果をある程度自在に操れる
2 手の平から静電気状のエネルギーを生じさせられる
これを超能力とすれば修得したと言えるだろう
別に明確な目的はない
こうしたことに関する雑談の場を設けてみたというに過ぎない
またまた、はぐらかしてばっかり~w
教えられないし忙しいのなら、顔ださなくていいのにw
>>60 「雑談の場を設けてみたというに過ぎない」
雑談する時間も惜しんで、役立つ能力開発に没頭すれば?
手からぴしゅぴしゅ電気感じて
まずありがちな疑問から。
Q1.目をつぶった方が良い? 開いていた方が良い?
A1.どちらでも関係ない。
Q2.服を着ていた方が良い?裸の方が良い?
A2.どちらでも関係ない。
Q3.姿勢は関係有る?
A3.関係ない。立っていても、座っていても、仰向けでも、座禅でも、苦しくなければなんでも良い。
Q4.金属類のアクセサリーは外した方が良い?
A4.身につけようが、触れていようが関係ない。
Q5.体が乾いていた方が良い?
A5.濡れいていても、乾いていても、湯船に浸かっていても関係ない。
Q6.特別な呼吸法は必要?
A6.全く必要ない。しかし十分深い普通の呼吸が必要。
Q7.呪文や特別なキーワードが必要?
A7.必要ない。
Q8.静かな環境でなければだめ?
A8.静かでも、うるさくても関係ない。ただし混雑した電車のように他人の体と接触する場所は避けた方が良い。
Q9.特別なアイテムは必要?
A9.何のアイテムも必要ない。
つまり特別な事前準備はほとんど必要ない。
普段はチャンネルというか周波数のような物がずれていて、気が付くのが難しい状態にあるものだ。その存在に気が付かなければならない。
例えば何かを触れずに動かすとき、自分の中の内なる力だけで動かそうとするのではなく、対象物が元々持っている「動く力」を封じ込めている鍵があり、自分はその鍵を開ける錠前だけを持っているように意識する。
これは感覚的な問題を文章化しているので、なかなか伝わらないかもしれない。
別な例えを示すなら次のような事もいえるだろう。
身の回りにバケツに一杯まで入った水が無数に存在していて、自分はそのバケツにほんの少しだけ穴を開けるという感じでイメージをする。
中の水は切っ掛けさえ与えれば勝手にあふれ出す。
つまりすべてを自力で動かすのではなく、バランスだけ崩して勝手に動いてもらうように仕向けるというイメージだ。
ただし頭がクラクラするほどの集中は必要ない。
例えば、目を右に動かそうとする場合や右手を好みの場所へ動かそうとする場合、あなたはどのように思い通りに動かしているだろう?
実はどうやって動かしているのか自分でもよくわかっていないのでは?
同じように内なる力をうまく利用するのは理論ではなく、もともと有る物に気が付いてそれを使うだけなのだ。つまり感じることが重要と言うことだ。
それを踏まえた上で、例えば指先、肘、肩、後頭部、背中、腰、膝など、ふだん意識しない場所に自分の意識を集中させてみる。
普通の人は目を開けていても閉じていても、目のある辺りに意識が集中しているはず。
この定位置をずらすように意識を別の場所に集中するのだ。
これを繰り返している内に必ずこれまでとは違う物に気が付くはず。
教えられるのはここまでだ。(隠している物が有るわけではなく、これしか説明できないのだ。感覚の問題だから。)
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